妊娠がクッソ辛い
母親という立場であることがわかると無意識になめられることが幾度となくあるので普段は親しい人たち以外にはあえて言わないようにしているけど、今現在私は妊娠中で、それがクソみたいに辛い。黙って耐え忍ぶとこの辛さがまるで存在しないかのように扱われるので、ちゃんと書き残しておくことにした。
産んでしまえば次のクエスト(睡眠不足の新生児期 etc.)が即始まってこれを書き残す気力がなくなることも、妊娠という現象が当事者以外に社会から軽く扱われる理由の一つがこうして妊婦が妊娠の過酷さを主張しにくい仕組みになっているせいなことも、前回の経験上わかっている。だから書く。
エネルギーなしに育つ生き物はない。植物だって太陽光を浴びて育つ。大陽光のエネルギーを疑問に持つ人はいないだろう。人体だって一緒で、胎児は何も必要とせず勝手に育つのではない。9-10ヶ月で3kg弱まで育つためのエネルギーを母体から得ている。周りの人間に見えないだけで、何もないところから3kg弱の人間が育つだけのエネルギーを母体が体内で繰り出している。勝手に湧き出てくるエネルギーではない、それを一人の人間である母親が文字通り創造している。普通に考えて、これが負担じゃないわけがない。
数ヶ月ずっと船酔いしてるような感覚で、ろくに頭も回らず仕事のパフォーマンスも落ち、10分歩くことすらままならない。小さな成功体験を積むことが自信になるのは想像に容易いと思うけど妊娠が辛い人にとっての妊娠期間はまさにその真逆で、出来たことが出来なくなることの連続で自己肯定感も自信もボッコボコにされる。その上ホルモンは大暴れもいいところで、PMSがステロイド飲んできたの?ぐらいのムードスイングに常に振り回される。これを、今までの仕事と生活を回しながら乗り越えることが当たり前とされている。
おそらく当事者以外は、お腹が大きくなるって大変だよね〜とぼんやりは思いつつも健康で内臓の位置も普通通りのままの体にコブみたいな感じで胎児がくっついてると想像してるんじゃないかと思う。違う。内臓の中にいる。中期にもなれば臓器は常に圧迫された状態になる。仰向けになることすらままならない。例えが悪いけど、臓器の中にキャベツ大の腫瘍があるのを想像してほしい。少なくともホンワカ微笑でお腹撫でてる場合じゃないことはわかると思う。
なのに社会は妊娠の負担を、一応守らなきゃいけない対象という体をとりつつも「ちょっと不自由だけど体は普通に動くもんねー」ぐらいに想定をしている。一般的な雇用主のポリシーや福利厚生を見ても、突き指や捻挫レベルだと勘違いしてるんじゃないかと思う。当たり前のように今まで通り機能して生活を回して仕事することを期待されている。
妊娠のしんどさを語ると、自分で望んだんでしょ、わかっててそれを選んだんでしょという主張で黙らされることも多々ある。それ自体にある程度の妥当性はあると思うけど、私が言いたいのはそこではない。物理的に妊婦が一人で妊娠することはできない以上もう一人の親がいるのに、この負担は100%産む人間にだけ丸投げされることの不等さがクソオブクソだと声を大にして言いたいのだ。
妊娠が辛くない人がいるのもわかる。私もその一人でありたかった。子どもを持つ人なんて掃いて捨てるほどいるんだから特別じゃない、そんなに辛いわけがないとも言われる。それは100%生存者バイアスだと言いたい。乗り越えられなかった人の声を聞くことがないからそう感じるのだ。そして既に一人産んだ者としてわかる。妊娠出産、こんなに辛いのに、過ぎたら忘れるように出来ている。マジで頭おかしくないか。設計者出てこい。
妊娠のしんどさはシステミックに周りの人に見えないように出来ている。今思えば、チームの会議にカメラオフ、ミュートで参加しながら毎日嘔吐していたあの時、あえてオフィスに出社して会議室で皆の前で吐けばよかったと思う。トイレに駆け込むなんて気遣いもせずその場で吐いて、そこら辺の床に寝転べばよかった。シャワーの蒸気で吐き気が止まらないから何日もお風呂に入れず、心身ともにボロボロでろくに着替えもできず何日も同じ服着て出社すればよかった。それが実態なんだから。その上で以前通りのパフォーマンスを出すことが期待されてるんだから。同じように隠れて嘔吐しながら仕事した妊婦を私は何人も知っているから珍しいことではないと思う。実際同僚たちの前でゲロ垂れ流しの道を選ばなかったのは己の自尊心を守るためだけど、このシステミックな妊婦への負担を改善するためには多分それを捨てて主張するしかないのだ。普通に考えて自尊心を自ら捨てたい人はいない、けどそれを逆手に取られて私たちはずっと苦しんでいる。